箕口一美(みのぐちかずみ) / 1979年卒業

卒業後の進路:
国際基督教大学
西洋古典文学(古典ギリシャ語とラテン語)と西洋美術史を学びました。卒業後はコンピューター関係の研究所などで仕事をした後、縁あってカザルスホールという小さな室内楽専用ホールに勤め、そこでコンサートを作る仕事につきました。
現在の仕事:
クラシック音楽のコンサートホールを運営するNPO(非営利法人)のディレクターです。
<ディレクターの仕事>
759席のあまり大きくないコンサートホールでは、どんなコンサートが一番似つかわしいか、他にもたくさんよいコンサートホールのある東京という大都市で、このコンサートホールが意味のある活動を行うには、どういう考え方に基づくのがよいのかを考えて、実践するのが仕事です。大まかなスケッチを描き、一緒に働いたり、実現のためにお金の工面をしたりする人たちと話し合い、スケッチを具体的な計画に仕上げ、それを実行するための計画づくりをリードし、実行に移していきます。
中高時代:
今から振り返ると、とってもたくさんの時間をくれた場所だったと思います。高校受験というプレッシャーがほとんどなくて、そのために費消しなければならなかったはずの時間に、たくさん本を読み、見聞を広げる機会を持つことができました。
アメリカやカナダから来た宣教師の先生の英語に親しむことができたのにも感謝しています。どこに行っても、発音と抑揚の良さをほめていただけるのは、そのおかげです。英語はそれそのものを目標にするのではなく、何かを実現するためのコミュニケーションの方法のひとつとして習熟すべきだ、ということも早くから教わりました。英語をきちんと勉強しておけば、他のヨーロッパ系の言葉は、マスターは出来なくても、日常会話くらいはなんとかなります。
物事を大局から見る、本質のありかを求めるという姿勢は、聖書を通して身に付いたものだと思っています。在学中「見えないものに目を注ぐ」という年間目標がいつも掲げられていました。目の前に起こっていることだけに目を奪われることなく、何が重要なことかを判断しようという心構えは、聖書にでてくる一見理不尽だったり、非科学的に見えてしまう譬え話に込められたメッセージを聞き取ることに直結しています。毎日の礼拝で先生方が繰り返し指し示していたものだったのですが、当時は「耳タコ」でした・・・先生、ごめんなさい。
最近の私:
6月に2週間ほど仕事で北イタリアにおりました。初めてフィレンツェを訪れ、やっと辻邦生の「春の戴冠(さいかん)」の舞台とボッティチェルリの作品を直接目にすることができました。この小説を読んだのは、17歳の時。彼の地を訪れることなど夢のまた夢でした。生きてさえいれば、長らく心の奥に畳んでいた憧れが羽ばたくこともあるのです。明日かなわないことも、いつかは・・・もしタイムマシンがあれば、17歳の自分のところへ行って、そっと耳元で「今はつらいだろうけど、がんばれ。あなたはいつかアメリカにも行けるし、フィレンツェだって行ける。ちょっと時間はかかるけど・・・」と励ましてやりたい、45歳でした。