佐藤文子(さとうあやこ) / 1979年卒業

卒業後の進路:
多摩美術大学卒
多摩美術大学大学院卒
イリノイ大学シカゴ校 アートセラピー講習
Antioch University Seattle
大学院 臨床心理&アートセラピー学部卒
同    後期博士課程 臨床心理学卒 博士号取得
現在の仕事:
帝京平成大学 臨床心理学部大学院 臨床心理センター教授(2011年12月退職)
臨床心理学者
陸前高田市緊急支援カウンセラー(2011年1月1日より)>>現地レポート(2013.1.8現在)
アメリカン アートセラピー協会会員
中高時代:
私は小学校から高校までの12年間英和で過ごしました。英和で学んだことは「人に奉仕をすることの大切さ」です。それは、今の私の仕事にも繋がっています。英語を小学校1年から学びましたが、残念なことに当時の私には興味が無くあまり真剣に勉強をしませんでした。英語の成績もよくなかったと思います。
英和を卒業してから3年浪人しました。それから多摩美術大学と大学院を卒業しました。多摩美大で過ごした6年間は私の人生の宝石のような時期でした。大学生活がとても楽しくて毎日が光り輝いていました。私は多摩美大学に行って、とても幸せでした。大好きな事が今までの私の人生をずっと支えてくれています。
卒業後:
卒業してから、2、3箇所で絵や陶芸や彫刻を子どもや大人に教えていました。そのような生活の中で、私はたくさんの心の障害や悩みを持った人に会いました。そして、アートを製作することでそのような人の心が快復していくのを目のあたりにしました。しかし、同時に、私のしていることがとても奥の深い繊細な領域だということもわかりました。私は、人の心が快復している事はいいことだと思いましたが、間違った指導をしてしまうと、人を傷つけてしまうのではないかと思いました。そんな折に、アートセラピーという学問があることを知りました。そして アメリカではアートセラピストという専門の職業があることを知りました。残念なことに日本にはそれを専門に資格を取れる所がありませんでした。
それから1999年にアメリカに子どもを二人抱えて渡りました。アメリカではアートセラピストのなるには大学院に行かなければなれません。そのための長い努力と勉強の成果があり2002年度よりアメリカの大学の心理学部の大学院でアートセラピーを学ぶことになりました。その間には、色々な方の援助や励ましがありました。イリノイ大学ではアートセラピーの第一人者であるワダソン先生に教わることが出来、その親交は今でも変わりなく続いています。先日は、シアトルの日本総領事に招待を受けてお食事を総領事ご夫妻とスタッフの方々とどうやって家庭内暴力や虐待で苦しんでいるアメリカ在住の日本人を助けるかを話し合いました。
この秋からアメリカのシアトルにあるフェアーファックス ホスピタルという病院で、アートセラピー治療を患者さんに行います。それと同時に博士課程に進みます。来年の4月には絵の展覧会もします。
アメリカでは学校のカウンセラーは4年生の大学を卒業した人がなれますが、診療や診断や治療は出来ません。それとは違って、セラピストは診療の診断も処方箋も書きます。セラピストは大学院を卒業しなければなりません。医療系の大学院は少なくとも3-4年かかります。最後の1年間は実際に医療現場でインターンをして勉強します。博士課程では より専門の研究をします。私は脳とアートセラピーのかかわりの実験を研究します。年に1回あるアメリカン アートセラピーの学会での発表もします。
英和生へのメッセージ:
日本はまだまだ年齢差別や、性差別などが沢山あり、中々女性が活躍する場所が少ないでしょうが、これからの時代は違います。女性は人口の半分はいるのですし、女性の寿命は男性より長いのです。
これからは、女性のスペシャリストが求められてきます。
そして、高い教育を受けた女性が子どもたちを教育していかなければなりません。教育は人を半永久的に変える力を持っています。質の高い教育を教師は真剣に供給しなければならないし、質の高い教育を子どもたちは受けるべきです。そのためには教師も生徒も真剣に向かい合わなければなりません。
例えば、教師の名前を使って生徒に暴力的な言葉を吐いたり、性的虐待をしたり、授業中にチョークを投げたり、怒鳴ったり、脅したりする事はアカデミックハラスメントといいます。それから、生徒間のいじめは、ハラスメントや虐待です。そのような事はあってはならないことです。そういう事がどのような事なのか学校では教育しなけらばいけません。また、専門家がそういう問題のある教師や生徒の心理的問題点を明らかにし、更正していかなければならないのです。アメリカならどんな些細な事でも、そのような事が起これば、すぐに逮捕されます。日本もきっとそうなるでしょう。教育の場はそういう真剣なところではないといけないのです。

それから英語の勉強について…
今、英語は私の場合、勉強の目的ではなく手段ですから、英語が出来るのは大前提です。一つの論文を書くのに10冊以上の文献を大学の図書館や世界中の資料をインターネットで取り寄せて研究します。大学院では、3ヶ月の間に10本以上の論文を書かされます。つまり、少なくとも100冊は本を読ませられます。1年間に換算すると400冊は読まされます。その他に教科書が年間約24冊以上あります。その本が読みこなせなければ論文もかけません。その論文が教授に認められなければ書き直しです。卒業も出来ません。大学院の授業はほとんどがディスカッションです。毎週自分の読んだ本を参考にして、自分の意見をはっきりと論理立ててぶつけ合います。反対意見にも自分の読んだ本を元にぶつかっていかなければなりません。そのように英語をこなせないことにはアメリカの大学や大学院や博士課程では生き残れません。
初めてユニバーシティーワシントンの図書館に行った時、私は本の多さに驚愕しました。それと同時にどの本も読めないと思いました。自分の英語力が低い現実を感じました。でも今は、どの本でも読める自信があります。そこにある何万冊の本を、私が望めば、どれでも読めるのです。
私が今、身をもって心から言える真実は、英語は才能ではありません。かけた時間です。私の場合、英語を目的とした勉強には興味がわきませんでしたが、自分の勉強したいことの為の英語の勉強なら勉強が続きました。最初、英語の勉強はなれるまで苦しかったですが、最後には大学の英語の授業で1番の成績をアメリカ人に勝ってとりました。大学でエッセイも選ばれて本が出版されました。その本はワシントン州で賞をもらいました。

これからの女性に教育は不可欠です。人の寿命が伸び、その長い人生のなかで何が起こるか誰もわからないのです。精神的にも経済的にも自立でき社会に貢献できる人生を目指して求めてください。教育は人を半永久的に変える力をもっています。質の高い教育を真剣に求めてください。質の悪い教育を100時間受けるより、質の高い教育を1時間受けた方が人の人生を変えるくらいの深さと力があります。自信を持ってたった一度の人生、自分を大切に!人の目を気にせず、自分の信じた道を進んでください。

健康的な精神は1.正しい食事。2.運動。3.環境。で養えます。心も体も鍛えてください。私はもう44歳ですが、毎日2時間以上はトレーニングをしています。トライアスロンに参加するためです。
人生は辛いことも沢山あるけど 素晴らしいものです。夢を持ってあきらめず勉強してください。好きなことを勉強してください。後輩を心から応援しています。
後輩の皆さん(2011/1月 博士号取得後のメッセージ):
私は小学校から高校まで英和ですごしました。その後多摩美術大学と大学院に進みました。絵を教えている時に、心に傷を持っている子ども達が創造することを通して回復していくのをみました。その後、アートセラピーという資格と学問がアメリカであることを知り、1998年にアメリカに留学しました。そしてアートセラピストになるには臨床心理学の大学院にもう一度入らなくてはいけない事をしり、英語と心理学を勉強して3年間大学院で臨床心理と芸術療法を修めました。大学院では医療者としての訓練があり卒業前に実際に精神病院やクリニックでインターンを1000時間しました。その後、2005年に臨床心理の博士課程にすすみ、1500時間のレジデントという1年間無給のインターン実習をしました。その間、アメリカ移民や世界からアメリカに送られて来た世界からの難民の子どもたちの臨床支援をワシントン州で行いました。2011年1月に博士号を取得。
後輩の皆さんに伝えたいことは、女性でも学問を修めることは大事な事であると言う事、夢を持ってそれに突き進み、決して諦めない事、くじけずに諦めないで何かをし続ければ必ず道は開けます。人生は長いので、これからの女性は、プロフェショナルになり社会の貢献できるような事を何か見つけて精進してください。心を清めて人に仕えてください。
それから語学をマスターするのはかけた時間です。だから大切なことは、諦めないでこつこつ時間をかけて勉強することです。
人生には苦しい事も悲しい事もたくさんあります。だけど、その経験はあなた方の心を養ういい肥やしになります。だから、いつでも、何があっても希望を捨てないで歩み続けてください。そして、まじめに不平な事をせずに生きてください。それは、大きな信頼を得られることに繋がります。
私には使命があります。アメリカで博士号を持っている人はアメリカの人口の3%未満です。そこまで行きつけたということは、私にはこの世でやり遂げなければいけない使命があるのです。博士課程の教授達は学生だった私たちに「あなた方がこの最高峰の学問レベルまでこれたということは、偶然ではありません。ここまでこれたあなた方は人類で成し遂げなければいけない使命があるのです。その使命を全うする為に選ばれたのです。いいですか、あなた方が人類の平和のために成し遂げるまえに死ぬのならそれは最大の恥なのです!」といつも言われ、学生は誓いを立てさせらました。私はこれから、自分の学んできた事を人類を救うために使います。
後輩の皆さん、自信を持って胸を張って生きていってください。私はあなた方を応援しています!真っすぐに一本道を突き進みなさい。人類の為に何が自分で成し遂げられるか、大きな目標を持って生き抜きなさい。
陸前高田市 現地レポート(2013.1.8):
2012年度1月1日より陸前高田市に国家プロジェクトのため招聘され、大学の仕事を辞め、陸前高田市に引っ越しました。陸前高田市役所教育委員会で学校の教員と保護者対象で市内の全校を一人でまわり、カウンセリングや心理教育指導をしています。市は主要部がほとんど津波で流されて壊滅状態で住居が無かったので、陸前高田市の高田高校第2グランドの仮設で暮らしています。2013年1月現在でも、その状況は変わりません。一瞬で家族も家も仕事も何もかも無くした方々の悲しみが今も重くのしかかっています。
陸前高田市は震災前には2万人の人口がありましたが、震災で約2000人の市民が津波の犠牲になりました。2013年1月現在でも、2000世帯が仮設に住んでいます。市はいまだに壊滅状態です。市民の中には今でも津波で消滅した家のローンを払い続けている方々もいます。市民の産業は漁業や農業です。港もまだ船が出せる状態ではなく、浜も壊れたままで漁業の再開はまだ難しい状況です。また、農地も塩水がかぶり農作物が育つ状態では今もありません。
仮設は鉄板の壁なので、冬はとても寒く結露がひどく家の中の物が湿気てしまいます。洗濯物も乾きません。夜は何度も寒さの為に目が覚めます。時々寒さで頭が痛くなります。夏は外より暑くなります。また、壁が薄いので隣の家族の声が壁越しに聞こえます。そして、小さな部屋に大人数で暮らしています。
多くの市民は精神的被害を受けています。彼らは、家族を探す為に、遺体を沢山目撃しています。家族の遺体を見つけるために何ヶ月も何百体の遺体をひとつひとつ確かめて過ごしています。その間交通も遮断されて何十キロも遺体安置所を探し歩いたそうです。今もなお200人ほどの方が行方不明です。
私がこの世に産まれて英和で学び、今までの私の人生の楽しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、すべてがここ陸前高田に来るためにあったのだと確信しています。これから先の人生はどう導かれるのかはわかりませんが、ヒューマニティーに貢献するために一生精進しようと思います。
英和の後輩の皆さん、どうか陸前高田の人々のことを支えてください。私の仕事が陸前高田の人を救えるように祈ってください。どうか皆さん、少しでも出来ることがあったら助けてください。皆さんの力は一つ一つが小さくても集まれば大きな力になります。