嘉山悦代(かやまのぶよ) / 1999年卒業

卒業後の進路:
三育学院短期大学看護学科
2002年 三育学院短期大学看護学科卒業(看護師免許取得)
2002~
2004年
横須賀市立市民病院 中4階病棟(小児病棟)で看護師として勤務する。
2005年 三育学院短期大学地域看護学専攻科修了(保健師免許、衛生管理者、第二種養護教諭免許取得)
2005~
2007年
横須賀市立市民病院 中4階病棟(小児病棟)で看護師として勤務する。
2007年4月~ 三育学院短期大学看護学科にて実習指導教員として小児実習を担当しています。
現在の仕事:
看護師・保健師・母校にて実習指導教員

私は、物心のついたころから将来の夢として看護師をあげていました。念願かなって看護師として小児病棟で働き出したわけですが、自分の描いていた理想と現実とのギャップに打ちのめされた私は、気分転換と自分の道を再確認するために、もともと希望していた保健師免許取得を目指し進学しました。
看護師として働いている間、病棟で患者さんにかかわれる限界を感じていました。普段患者さんは自宅で、そして社会の中で生活しています。入院して病院で過ごしている時間より、自宅で過ごしている時間のほうが圧倒的に多く、病気とうまく付き合っていくためには普段の生活をフォローすることが大切なのではないかと考えました。そこで地域看護を再び学ぼうと考えたのです。社会人を経験して学生に戻ったことは私にとってはとても意味のあることだったと思います。社会人経験のある同級生と1年間過ごし、同級生たちの様々な経験を聞き、他病院の話を聞くことで、私の世界は広がりました。そしてどんなに恵まれた環境で働いていたかを実感することができました。また、看護学生時代とは異なる様々な実習も、私自身が見失ってしまった道を再確認させてくれました。
保健師の資格を取得すると、就職を考えた際に様々な道が開けます。例えば、衛生管理者(産業保健)、学校保健(養護教諭)、保健師(市町村や保健所の保健師)あるいは看護師として働くなど。私がなぜ再び看護して働く道を選んだかというと、直にそして密に患者さんや家族とかかわれる仕事だと感じることができたからです。そして、子供たちの成長発達に直接かかわることのできる小児病棟で再び働き始めました。病棟ではチームリーダーを任され、チーム一体となって活動していたところに、母校から看護教員として働かないかと誘われ、新人教員や看護教育に少なからず興味を持っていた私は、誘いを受け現在にいたります。
中高時代:
私は中高の6年間を横浜英和で過ごしました。そこで、かけがえのない友人たちに出会いました。社会人になりまた何人かは家庭をもっている現在では、中高時代のように毎日会うことはできませんが、自分の道に迷った時には相談し、また悩んでいる者の相談にのりと、一生付き合っていける友人たちを得ることができました。時々、友人たちと会っては思い出話に花を咲かせると言ったとように、6年間の思い出は現在も色褪せることはありません。優勝を目指した合唱コンクール、毎年恒例のハレルヤコーラス、シオン際に修養会、毎日1時間半かけて通った通学路も今となっては良い思い出です。校歌にしておくにはもったいないと思うほど素敵な校歌や大好きな讃美歌もたくさんできました。
キリスト教との出会いもありました。毎日の礼拝の中で、先生方や牧師さんが話してくださったことも、今の私には良い学びをもたらしてくれています。看護師として働く上で対象としているのは病と闘う患者さんです。そこで人のなすことには限界を感じる時があります。苦しみの中にある患者さんにしてあげられることを考えた時、祈ることしかできない時があります。英和の校訓は「心を清め人に仕えよ」です。自分の力に奢ることなく、患者さんのために今自分に何ができるか考えながら看護をする。私の看護の原点は英和で学んだ気がします。何事にも偶然はなく、神様の御心に叶った選択がなされているなら、今歩んでいる道にもきっと意味があると考えられるようになったのも、英和で得たことだと思います。
先日、英和を訪れた際に、先生方が言ってくださった「自分たちは珍しく中学3年間、3人の教師全員がずっと持ち上がり、授業もその3クラスをすべて教えたので、、どの生徒をいつ自分がクラス担任をしたかわからないほどだ。」という言葉が印象的でした。つまりは、自分の担任のクラスと同じように、すべてのクラスに同じように目をかけ、関わってくださったという意味だと思いました。このように温かな先生方と出会えたことも私にとっては宝物となっています。
6年間の思い出を語りだしたらキリがありませんが、英和生であったことをとても誇りに思っています。