「種を蒔く人」のたとえ
2022.09.07
ホームページ チャペル便り 2022年度 第9号〈9月12日〉
「種を蒔く人」のたとえ
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、他の種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるもの60倍、あるものは100倍にもなった。」
マルコによる福音書4章3-8節
イエスは、わかりやすいたとえを用いて自分の教えを伝えました。
ある人が、さまざまな場所に種を蒔きました。道端や、石だらけの場所、茨の中に落ちた種は実を結びませんでした。でも良い土地に落ちた種は育って実を結び、何十倍にもなりました。
この「種」とは、神さまのみ言葉をたとえています。道端とは、み言葉を聞いても聞く耳を持たず、他のものに興味を奪われる人のこと。石だらけの土地とは、土が少ないので根を張ることができないように、一旦はみ言葉を受け入れるけれど、困難なことに出会うとすぐに信仰を捨ててしまう人のこと。茨に落ちた種は、お金や自分の欲が強くて、み言葉を本当に受け入れることができない人のことを表しています。でも、み言葉を素直に受け入れた人は、豊かに育って実を結び、何十倍にも成長することができました。
なぜ、種を蒔く人は、道端や茨の土地にまで種を蒔いたのでしょうか?普通は、育ちやすい場所だけを選んで種を蒔くものですよね。でも神さまは、どんな人にもみ言葉の種を蒔かれるのです。最初から心を閉ざしている人、興味がない人、他の価値観の中で生活している人たち、それでも神はあきらめることなく、私達に働きかけ続けるのです。私自身、家族の中にクリスチャンは誰もいなく、キリスト教とは無縁の家庭で育ちました。今日のたとえで言うと、道端とか茨の土地と同じです。でも、神さまは種を蒔き続け、聖書の言葉と出会わせてくださいました。神さまは、いつも、どの人のためにも祈り、働きかけられておられるのです。その種を豊かに実らせることができればと願います。
※写真は、秋晴れの日の礼拝堂です。