神の業が現れるために

2021.09.13

弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。     ヨハネによる福音書9章2-3

 東京パラリンピックが8月24日から9月5日まで行われました。コロナ禍での開催については、オリンピックも含めて疑問もありましたが、選手たちの活躍には心から感動しました。
 パラリンピックの競技について、恥ずかしいのですが、私はこれまであまり知りませんでした。障がいに合わせて細かにルールが分かれていて、さまざまな工夫がされていることに驚きました。また選手たちの生き生きした姿に、自分の限界を超えて挑戦するアスリートとしての力と誇りを感じました。サポートする人たちとのパートナーシップも素敵でした。
 今日の聖書では、弟子たちは、生まれつき目が見えない人について「誰が罪を犯したのか?」とイエスに尋ねています。まだ病気や障がいに対して十分な知識がなく、偏見が強い時代です。イエスははっきりと「罪の結果ではない」と告げました。そして「神のすばらしい業がこの人に現れるため」と言われたのです。パラリンピックを見ていて、神さまは人に本当にすばらしい力を与えてくださっていると思いました。偏見から自由になり、誰もが互いに尊重され、応援し合える関係を築いていきたいと願います。
※写真は、グランドのフェンスにひっそりと咲いていた朝顔です。